延岡のことを古くは「縣」「吾田」「英多」(あがた)と言った。縣地方つまり延岡地方に伝わる神楽の総称が「縣神楽」(延岡神楽)です。

戦後、若者の都会流出によって途絶えていましたが、昭和40年代になって、わずかに残っていた神楽指導者と、今山八幡宮などの尽力などによって徐々に復活していきました。

延岡藩領であった延岡市と日向市東郷町では現在、20の地域で、それぞれ系統の異なった神楽が伝承されています。御本城神楽と云われる延岡城近郊の出雲系、海岸地帯の大和系、山岳地帯の秩父系、英彦山系に、高千穂系、高鍋比木系と、多彩な系統の神楽が伝承されています。その貴重さは、他地域に類を見ないと近年云われています。

また、祭りの神事のときだけ舞われていたこともあって、俗化されておらず、非常に洗練された特徴を持っています。

それぞれ練習メニューをこなしながら、地区の祭りや敬老会、郷土芸能大会などで演じています。延岡城山神楽祭実行委員会が主催し11月に城山城址で開催する「城山かぐらまつり」には、延岡市内はもとより日向市、門川町、諸塚村など県北の各神楽保存会、さらには大分県、福岡県の神楽保存会も参加する神楽の一大イベントになっています。

面は高千穂神楽と異なり、能面の影響を受けていると言われています。能は江戸時代、延岡でしばしば演じられ、藩主も保護してきました。現在は「天下一薪能」として、毎年10月、延岡城址二の丸広場で催されています。

また、高千穂神楽がグルグル回りながら舞うものが多いのに対し、延岡神楽は直線的なものが多く見られ、同じ宮崎県北でも、舞い方が異なります。